前日は19:00頃オリンピアに到着。あらかじめ目をつけていたHotel Europe(Best Westernチェーン)では空き部屋もあり、すぐに部屋に通される。部屋でひと休みした後、夕食をとオリンピアのはずれコスキナにあるクリタマリアというタベルナに車で向かう。ここは地元ギリシャ人にも評判のお店ということで期待するも、日曜日でお休み。残念。オリンピアに戻り、街の中心のタベルナで食事。その後おみやげ屋に寄って、一昨年コリントスで見つけて買いそびれた“ARCHITECTURE AND CITY PLANNING”(IOANNA PHOCA and PANOS VALAVANIS・KEDROS・ISBN:9600415196)という本を買い、ホテルに戻る。6時間もの運転にすっかり疲れてしまったのか、バスタブに浸かったあと、ベッドに横になっていると知らずと眠ってしまった。
翌日は自然と目が覚める。物音ひとつない静かな中、よく眠れたようだ。テラスに出てみるとオリンピアの村のほうが明るくなろうとしていた。ヴァッフェ形式の朝食をとってチェックアウトし、早速オリンピアの遺跡に。とにかく広い。 遺跡内の案内はしっかりと整備されていて、ガイドブックにある全体地図と一緒に見て回る。ギムナジウム(体育館)、プリュタイネイオン、パラエストラ(闘技場)、フィリッペイオン、ヘラ神殿…。『オリンピア―遺跡・祭典・競技』(中公新書 村川 堅太郎 著)で読んだことが思い出される。そして、競技場。朝早いということもあって競技場にはあまり人がいない。スタートラインを見たり、お約束どおり走ったりした後、観客席であったであろう土手で一休み。そのあとゼウス神殿に。

ゼウス神殿に近づくと、「ん? 何かが違う。」という気持ちが強くなってくる。その理由に気づくのはすぐ。柱が一本立っているのだ。もともとゼウス神殿は6世紀の大地震で倒壊した後、その後の度重なる洪水で埋もれてしまっていて、立ったままの柱はなかったはずなのだ。多くの書籍、特にガイドブックでは、立っている柱はなく円柱が転がっているということが述べられている。少しばかり複雑な気持ちになったものの、気を取り直して柱をじっと見ていたら、その神殿の規模が目に浮かび、鳥肌がたつ。目に浮かんだその神殿の大きさというのがものすごく大きいものだったからだ。
ギリシャには多くの神殿遺跡が残っていて、柱が立っているケースでは、それが当時から立っているものはむしろ少なく、復元され立っているものが少なくない。だから、「あの柱だけは千数百年も前から立っているのか」などと期待していくとがっかりすることになる。どこまで復元を許すかどうかは考古学で議論されるところなのであろうが、今回のゼウス神殿の1本の柱から掻き立てられた想像のようなものは、その議論がどうであれ、遺跡見学の楽しみだと思う。そもそも古きを知ろうとする行為とは、目の前にある断片から想像を広げること。そして、想像から広がった世界を検証するのが考古学なのではなどと感じもする。
この一本の柱が復元されたことの背景には、アテネ・オリンピックということがあり、商業主義の色彩も強くなる。となると、観光のためにということで、いたずらになんでもかんでも復元されないほうがいいなと思っている。この一本は適切な復元かな……。
ゼウス神殿を後にして、ブレウテリオン、レオニデオン、そしてフィディアスの仕事場を見て、遺跡を後に。遺跡の入口にはどんどんと人が集まってきている。シーズンも終わったとはいえ、かなりの数。有名な遺跡を見学するときは、少しでも朝早いほうがいいようだ。