January 06, 2005

何もない=何かある ─スパルタ 04/10/5

レオニダス像

前日のタイゲストス山脈越えで疲れきって知らないうちに眠ってしまったが、朝はすっきりと目覚めた。今日はスパルタのアクロポリスを散歩した後、ミストラに向かう。ホテルの小さなロビーで朝食を済ませてチェックアウトし、競技場の裏にあるスパルタのアクロポリスに向かう。夏の盛りの過ぎた日差しは柔らかく、なんとなくすがすがしい気分。アクロポリスに向かう途中には小学校(?)があり、子どもの元気そうな声が響いている。

日本を発つ前、スパルタは見るものもないけど、行ってみればいい。でも観光なんてすぐに終わってしまうと言われていた。ガイドブックを見ても、スパルタにページを割いているようなものはなく、世界遺産のミストラ観光の拠点として扱われる程度のもの。ガイドブックに写真は掲載されていても、競技場の前に立つレオニダス像かアクロポリスの端に残る劇場跡、あるいは柱さえ残っていない遺構の写真。そしてお決まりの文句として、「石がゴロゴロしているだけの廃墟」 という言葉がつけ添えられている。

スパルタ

スパルタのアクロポリスの遺跡は、フリーエントランスで係員もいない。犬の散歩をさせている人や通勤中と思われる人とたまにすれ違う。城壁、城門、柱廊の跡がなかば土に埋もれ残っている。アクロポリスはタイゲストス山脈を臨み、眼前に広がる山並みは、この地の冬の厳しさを感じさせる。「こんなにも何も残っていないのか……」と改めて感じつつ、ローマ時代の劇場跡を探すが、標識も整備されていないため迷ってしまう。いつの間にか果樹園の中に迷い込んでしまったり、農家で買われているニワトリに出会ったり、ヤギに見つめられたり…。やっとのことで見つけた劇場跡は、アクロポリス一帯でも唯一全体像を感じることができる遺跡。タイゲストス山脈を背景に、古代に演じられた演劇はいかなるものであったのだろう。そう想像すると、夏の夜の涼しい風を感じる。

スパルタのアクロポリスには、その全盛期を彷彿とさせるものは何ひとつ残っていない。そもそもスパルタが栄えた時代には城壁はなかった。人こそが城壁だった。劇場や神殿、民会場もあったが、質素を旨としたスパルタはこういった公共施設も質素だったといわれている。スパルタと覇を争ったアテネとは対照的だ。ツキディデスは『歴史』のなかでこう書いている。

「ラケダイモーン人(スパルタ人)のポリスが荒廃に帰し、あとに神殿と、建造物の礎石だけが残ったとすれば、はるか幾世代ものちの人はどう思うだろうか?きっとダラケイモーン人の名声について深い疑念をいだくに違いない。」

岩波書店『歴史』(トューキュディデース 著 久保正彰 訳)

スパルタ

まさに、ツキディデスの語ったこの言葉が目の前の現実として広がっている。この光景を前にして、日本人にはスパルタに来て感じることを言葉にすることができる。「夏草や兵どもが夢の跡」あるいは「国敗れて山河あり。城春にして草木深し」。このアクロポリスに立ったときの思いを言葉にしようとしても、結ういった先人の言葉に行き着いてしまいそれ以上のものが出てこない。そういえば、『十六歳のギリシア巡礼記』(二田原阿里沙(著)/筑摩書房/ISBN:4480822305/1987/07)では「草や兵どもが夢の跡」という表現があったし、沢木耕太郎の『深夜特急』では「いくら歩きまわってもまったく何も残っていない。だが、それはいっそ潔いものと映った。アテネのアクロポリスの丘に立ったときよりはるかに強いうねりのある感情が沸き起こってきた。」とあった。みんなこの地で言葉にならないなにかを感じるのだろう。それを感じるだけでもスパルタに立ち寄る価値はあったと思っている。

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