ほとんどものになっていないが、かじった言語の数はかなり多い。フランス語、ドイツ語、スペイン語。ギリシャ語もさほどものになっていないので、今のところ「かじった言語」のひとつだろう。かじったのが無駄だったかと言えばそうでもない。海外旅行中にこういった言語を母語にする人に出会い、彼らの言語でちょっとあいさつするとものすごく喜んでくれる。11年前、一日バスツアーでアテネからデルフィにいったとき、ドイツ人夫妻と意気投合して一緒にお茶を飲んだり、自分たちの国の話をした。ツアーが終わって、“Auf Wiedersehen”とお別れのあいさつをしたときは、夫人がものすごく驚いた顔をした直後に、ものすごく喜んだ顔をしてくれた。こんな忘れられない思い出がいくつかある。だから、ものにはならなかったけど、それなりに役に立っていると思ってる。
ちょっと前置きが長かったが、こんな事情から現代ギリシャ語のみならず、 いくつかの外国語のテキストを見てきた。そんなテキストの最初のページの方でいつも「この例文ってどんなときに使うんだろう」という例文に出会う。現代ギリシャ語で言えばこんな例文。
Είσαι Ιάπωνας.
「あなたは日本人です」。これってどんな状況で使うんだろう。いつもそう感じて、あれこれを想像をめぐらせてみる。
なにかものすごく日本人らしい行為をしたときに、相手に向かって、“Είσαι Ιάπωνας.”。「あなた本当に日本人だね」といったニュアンス。あるいは、日本人らしくない行為をしたときに、“Είσαι Ιάπωνας.”。「あなた日本人でしょ。そんなことしたらだめよ」というニュアンス。でも、日本人らしい行為ってなんだろう……。記憶喪失になった相手が、「俺ってどこの国の人?」と聞くので“Είσαι Ιάπωνας.”。ありえなくはない。でも、一生に一度あるかないか……。ないだろうな……。よっぽどのことがない限り。つまりは、είμαι,είσαι,είναι,είμαστε,είστε,είναιを説明するための例文。人称という概念を説明するだけの例文なのだろう。ならばこうやって並べてくれればいいのにと思う。
- Είμαι Ιάπωνας. 「わたしは日本人です。」
- Είσαι Ιάπωνας; 「あなたは日本人ですか?」
- Είναι Ιάπωνας. 「彼は日本人です。」
- Είμαστε Ιάπωνες. 「わたしたちは日本人です。」
- Είστε Ιάπωνες; 「あなたがたは日本人ですか?」
- Είναι Ιάπωνες. 「彼らは日本人です。」
どの表現も、それを使う状況が想像できる。でも、こういうところに配慮した例文を掲載しているテキストは、あまりお目にかかったことがない。いつ使うかわからない例文を見るたびに、「どんなときに使うんだろう」と考えながら、なかなかありえないシチュエーションを想像し、いつの間にかその使わない表現が頭に残っている。ということは、まあ、いいのか……。